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ロン・ノル時代から民主カンプチア 時代へ (1970~1979年)

 皆様! ススデェイ(こんにちは)。

私はカンボジア日本語ガイドのブンキァンと申します。 毎日、カンボジア旅行に来た日本人の皆様を案内しています。私のツアーは初めての旅行でも、一人旅行でも、家族旅行でも、団体でも安心です。今日は寺院の中に登場する 神々を紹介したいと思います。

きょうはロン・ノル時代から民主カンプチア 時代へ (1970~1979年)を一部説明したいと思います。

 

ロン・ノル将軍のクーデター後、北京に亡命して いたシアヌークは、「カンプチア民族統一戦線」の 結成を宣言し、共産勢力クメール・ルージュと協力 することを表明しました。1970年以降、ベトナム戦争 はカンボジア国内にまで拡大され、1973年以降 はカンボジア人勢力同士による内戦も激化しました。 この結果、国内は混乱し、国土は疲弊していった。

1975年4月17日、クメール・ルージュを中心 としたカンプチア民族統一戦線がプノンペン入城を果たし、内戦は事実上終結した。しかし、政権 を握ったポル・ポト派は急進的な共産主義政策を 断行したために、国内は再び大混乱をきたしたの であります。

民主カンプチア政府 (ポル・ポト政権)の政治 についてはいまだに謎が多いです。毛沢東主義の影響 を受けたといわれるポル・ポト派は、プノンペン 入城直後、都市の無人化、農村への強制移住政 策を行います。さらに、市場・通貨の廃止、労農・政 治教育以外の学校教育の廃止、宗教活動の禁止、 サハコー(人民公社)の設置と集団生活化など、 従来の伝統的価値観や社会体系を無視した政策 を断行しました。これらの諸政策のために、カンボジ ア国内は混乱し、伝統的な社会システムは破壊さ れました。ポル・ポト政権下の3年8ヵ月間20日間は、カ ンボジア国民にとって、「精神的外傷」として、現在でも記憶に深く刻み込まれています。 また、ポル・ポト政権成立直後から、ベトナムとの対立が激化するようになり、1977年には大 規模な国境紛争へと発展していきました。1978年12 月下旬、ベトナム軍はカンボジア領内に侵攻し、 翌年1月に民主カンプチア政府はプノンペンを 放棄して、タイ国境の山岳地帯へと逃走した。同 時に、タイ国境地帯に大量のカンボジア 「難民」 が押し寄せ、1980年代を通じての「難民問題」の端緒となりました。

皆様もしカンボジアへ遊びにいらっしゃったら、カンボジア日本語ガイドブンキァンに任せて下さい。

 

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