B47 : バンテアイスレイ+プノンクーレン+バンテアイサムレ+大回りコース遺跡群ツアー
2見学の時間:時間
ツアーコード:B47
プライベートツアー
催行日情報:毎日催行
子供参加:可
お一人様:可
ツアー料金:
・1名様 :165$
・2名様: 90$/1名当たり
・3名様: 65/1名当たり
・4名様: 53$/1名当たり
・5名様以上:45$/1名当たり
※12歳以下のお客様は2人まで無料でございます。
※なお、4名様〜8名様はワンボックスカーを用意します。
また、9名様以上はマイクロバスを用意しますので、料金の詳細はお問合せください。
※ツアー料金に含まれるもの
・専用車(エアコン付き)
・日本語ガイド
・お水(何本でも無料)
※ツアー料金に含まれない
・昼食
・遺跡入場チケット
※お客様にご負担いただきます。
※入場券は3種類ございます。
・1日券 37ドル
・3日券 62ドル
・7日券 72ドル
・プノンクーレンチケット:20$
チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。
当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
時間 スケジュール・見所
08:00 ホテルにお迎えて、入場券を買いに案内させて、バンテアイスレイ遺跡に出発します。
09:20 バンテアイスレイ遺跡を観光します。約50分かかります。
10:10 プノンクーレンに出発します。約50分かかります。
11:00 プノンクーレン遺跡を観光します。約1.5時間かかります。
12:30 昼食休憩します。約50分かかります。
13:20 バンテアイサムレ遺跡に出発します。約1時間かかります。
14:30 バンテアイサムレ遺跡を観光します。約40分かかります。
15:20 大回りコース遺跡群(プレループ遺跡+東メボン+ニャックポアン+プリアカン遺跡を観光します。)約2.5時間かかります。
18:00 ホテルに戻ります。約30分かかります。
バンテアイスレイ遺跡
バンテアイスレイ寺院は967年にジャヤヴァルマン5世によって作られたヒンドゥー教寺院です。女の砦の意味をもつこの寺院は建立当時にアンコール王朝摂政役の王師ヤジュニャヴァラーハの菩提寺として建設されたと言われています。ヒンドゥー教の三大神(シヴァ神とヴィシュヌ神とブラフマー神)に捧げられた周囲が約400mの小寺院で外壁は赤色砂岩とラテライト、屋根の一部にはレンガも使用された美しい遺跡です。東門から入ると赤い絨毯が敷き詰められているかのようなラテライトの参道が延びます。
第1塔門
破風のレリーフの中に3頭の象に乗っている神様は帝釈天(インドラ神)です。帝釈天は雷神、風神雨神です。象の下にカーラ(カーラの頭)です。カーラはシヴァ神の門番と言う伝説です。
この参道の両側にハスの花の石柱並んでいます。参道の両側にも経蔵があります。
左手の経蔵
経蔵の破風にナンディン牛に乗っているシヴァ神と奥様ウマでございます。
右手の経蔵
経蔵の破風ナラシンハ(半分人間半分ライオン)はヴィシュヌ神の化身です。ナラシンハは阿修羅王をくみふしてから殺したと言う伝説です。
第3塔門
第3塔門二番目の破風
ラクシュミー様(ヴィシュヌ神の奥さんが象の聖水で身体を清めいてもらっています。
第4塔門の破風
インドの神話によって、踊っているシヴァ神です。左側に座っているのはカリーカラミヤという女性です。この女性は大変美しい人ですが夫が蒸発されたので、あちこちの王様たちがこの女性を奪い合う争いました。カリーカラミヤさんが心配ので、自分の魅力、美貌を破壊してくれとシヴァ神に頼んで、シヴァ神はは魅力、美幌を破壊してしまいました。右側に太鼓をたたいているのはインドラ神です。
本殿の左側の破風
カイラス山(須弥山)で瞑想しているシヴァ神です。シヴァ神はパールヴァティーさま(シヴァ神の奥様)を抱いています。下方では10個の顔20本の腕を持っているのは魔王ラーヴァナ(阿修羅王)です。
バンテアイスレイ遺跡はヒンドゥー教の3大神ために建てられました。3塔ありますね。
・右側の塔はブラフマー神の塔です。
・真ん中の塔はシヴァ神の塔です。
・左側はヴィシュヌ神の塔です。
西塔門破風
こちらは古代インドラーマヤーナ物語の一節です。さらわれたシータ姫を探してラーマ王子が森に入ると、サルのモスグリーヴァが泣いていました。理由を聞くと兄ザルに妻を奪われた言います。気の毒に思ったラーマ王子がスグリーヴァに加勢しました。中央が争うサルの兄弟、右側から矢を射るのがラーマ王子です。この戦いで勝ったスグリーヴあるがサルの王の座に戻り、今度はラーマ王子を助けます。
優美なレリーフ[東洋のモナリザ]
バンテアイスレイ遺跡の規模は小さいですがヒンドゥー教の神話を描いた彫刻は彫りが深く、ほとんど赤色の砂岩で作られており、その造形美はアンコール遺跡の中でも群を抜いて洗練さ優美です。さらに保存状態も極めてよいです。1923年に若き日の仏作家アンドレ・マルロ(妻、友人の3人)が持ち去ろうとして逮捕され、のちにマルロー晩年の[空想美術館]を飾ったバンテアイ・スレイ北祠堂のデバター像です。
プノンクーレン遺跡
プーンタコー
プノンクーレンとはシェムリアップの北東に位置する川沿いの遺跡北西から南東に海抜400mほどの砂で出来てた連山で、ライチの木が多いことから(ライチ山)クメール語でプノンクールンと呼ばれてます。802年ジャヤヴァルマン二世がこの山で神王として即位したことから「最高神、インドラ神の山(マヘンドラ・バールヴァティー]」とされます。この山に点在するレンガ造りの寺院はプレ・アンコールからアンコールへの過渡期と位置付水量や水の透けられ、この後600年続くアンコールにおける王朝の幕開けの地とされています。
遺跡は川の中の岩に彫られたヴィシュヌ神像とブラフマー神像、その近くの滝、チェックポイントから 1 kmほど南へ進んだ川の中の岩に彫られた千体リンガなどです。
水中遺跡
プリア•アントム
プリア•アントムと呼ばれる涅槃仏象は16世紀中頃にアンチャンという王様によって作られた涅槃像です。この周辺をぐるっと歩くと奇岩や仏像を祀る洞窟などがあります。
プノンクーレン山には2段の滝があります。まず吊り橋の近くの川底にヴィシュヌ神とブラフマー神の彫像があり、その一帯は王様の沐浴場でありました。 その先に小滝があり、一段下の平坦な水場は 身分の高い人専用、その先に約20mの落差の 大滝があり、滝つぼの浅瀬は兵士の水浴び場 だったと言います。現在では涼をとる地元客の絶 好の水遊びの場になっています。
では、なぜ川の中に神像を造りましたか。より 神聖な場所に神を祀りたかった、そして神々の パワーが水を介してより多くの人々のもとに行 き渡るようにという思いがあったとされています。
バンテアイ・サムレ寺院
バンテアイ・サム遺跡は12世紀初頭にスールヤヴァルマン二世と言うアンコールワットを作った王によって建てられたヒンドゥー教 のヴィシュヌ神の寺院です。
バンテアイ・サムレは「サム レ族の砦」という 意味をもつ寺院だが、 サムレには入れ墨の意 味もあります。環濠と高い 塀で囲まれた砦の名に ふさわしい重厚な外観 であります。内部は回廊に 囲まれた中に中央祠堂 が建ちますが、その回廊の 周りにテラスが付属しています。 特に、中央祠堂には拝殿が付属 しており、その拝殿は東塔門と 近接して配置されています。中央 祠堂と東西の塔門は分離して造 られています。第一、第二周壁(回 廊)にもそれぞれ東西南北の4つ の塔門が配されており、第二周壁 の内部には西向きに2棟の経蔵 があります。同じ時期に造られたチ ャウ・サイ・テボーダやトマノン 遺跡での祠堂と拝殿 の連結手法を受け継いでいます。 さらに、周壁と中央祠堂とを回廊で連結することがアンコー ル・ワットでは実践されています。
また、中央祠堂と拝殿の窓は 2列に連子を5本並べた形式 で、アンコール・ワッ ト中央祠堂の窓の形式 を踏襲しています。しかし、テラス付きの回廊は外側には窓のな い壁で、内側にだけ開放されて おり、全体は砦としての郊外型 寺院の構成を継承しています。
ここはバンテアイ・サムレ寺院の正面の門です。
ここはバンテアイ・サムレ寺院の本殿です。
経蔵の破風の彫刻像はアーナンダ(ヘビ)横たわるヴィシュヌ神です。そのへそからバスの花が生え、花の中ではブラフマー神が瞑想しています。もしバスの花が咲くと、ブラフマー神が世界を作ります。横たわっているヴィシュヌ神は世界を作るのを待っていると言う伝説です。
プレループ遺跡
プレ・ループ遺跡は961年にラージェンドラヴァルマン二世と言う王様によって建てられたヒンドゥー教の寺院です。東メボンの南約1.5kmの所にあるピラミッド様式遺跡です。東メボンと同様の造りましたが、プレループ遺跡の方が壮大です。中央伽藍と東塔門の間には死者を荼毘に付したと言う石槽が置かれ、火葬の儀式が行われていたと言われます。
造りは3層のラテライトの基壇上に5基の祠堂が並んでいる、ピラミッド式の寺院であります。正確に言えば3層目の四方に4基の祠堂が配置され、中央にはさらに段の小さな基壇があり、その上に中央祠堂が建てられています。周囲は四方に塔門のある二重の周壁に囲まれています。20棟を超える経蔵や倉庫で囲まれた伽藍の中央に12基の小祠堂、4基の副祠堂と中央祠堂が整然と配置された5塔主堂型の平面形式であります。
5基の祠堂群にはすべて、東側の開口部を除いて砂岩偽扉があります。偽扉は厳重に閉ざされた開かずの扉で、入ることを拒否しています。さらに、装飾された媚と付柱による装飾はほかの外壁面と同様で、遠目にはどこが入口なのか判断し難いです。入口の造形上の意味を消去することにより、逆に入口のある方向に意味をもたせているのであります。なぜ東向きに開口部があるのかは、太陽の昇る方向を示すなど、自然崇拝との関係などが指摘されていますが、明らかではありません。
この中央の砂岩で出来た台がこの寺院の特徴です。これは火葬のための台と言われています。伝説によれば、この台の上で死者を火葬し、その灰の上に死者をかたどった線をかく輪廻転生の儀式が行なわれたと言われています。そのため、プレ・ループ、つまり「 体を変える」と呼ばれるようになったわけです。つまりこのプレ・ループは当時、火葬場として使われた特別な寺院だったのですね。
このラテライトで出来た建物から、灰を流した言われています。ヒンドゥー教ですから、お墓を作るのではなく、川に流していたようです。
プレループ遺跡は一千年間以上かかりましたけど、この塔にはまだ漆喰を丈夫に残っています。
この女神のモチーフは四本腕、四面顔です。ブラフマー神の奥さんのサラスヴァティー様と言う伝説です。
プレ・ループ遺跡の上から正面の景色です。
東メボン
東バライ(貯水池)の中心部大池の中央に浮かぶように建設されたのが東メボン寺院であります(現在、水は涸れています)。この寺院は952年にラージェンドラヴァルマン二世によって建立されたシヴァ派の寺院で、9年後に同王によってプレ・ループも造られています。東バライ(東西約7km、南北約1.8km)はヤショウーヴァルマン治世時代(889年~910年)造られているので、貯水池が先造営され、その後に寺院が建築されたと考えられます。遺跡はクメール建築の三大建築材であるレンガ、砂岩、ラテライトが使い分けられ、レンガ造りの屋根や木造屋根の屋根の痕跡などが残り、それぞれの構造も変化に富んでいます。また二重の周壁で囲まれ、周壁と周壁の間には各種の付属建築物が建ち並んでいます。内側の周壁はそのままピラミッドの1段目を構成し、その上に二段の基壇を重ねています。伽藍はプレループよりも単純で、ピラミッド式による視覚的効果は小さいです。
東メボンの正面
遺跡の角に石像の象を置いています。象さんは水の象徴です。もう一つ意味は帝釈天の乗り物と言う伝説です。この遺跡の中で、この象の像は市場きれいに残っています。
ニャポアンック
こちらのニャック・ポアンは12世紀の終わりごろにジャヤヴァルマン七世によって作られた大乗仏教寺院です。プリアカンの碑文によるとあちこちから来る人々が良く身を清めてもらうと書かれています。治療施設だと考えられています。
こちらに五ついけがあり、中央の池のまわりに四つ池があります。
中央の建物のまわりに、たくさんの頭を持った二匹の蛇が尻尾を絡ませているのが見えますね。これはヒンドゥーの竜神ナーガで、これがカンボジア語で ニャック・ポアン、すなわち 絡み合う蛇と言う名前の由来になっています。このように建物の砂岩の壁に4本腕の観音様の像がところどころ残っています。
ニャックポアン遺跡に入る橋の長さは350メートルです。
中央の建物の周りに、たくさんの頭を持った二匹の王蛇が尻尾を絡ませているのが見えます。これはヒンドゥーの竜神(ナーガ)で、これがカンボジア語で「ニャック・ポアン」、すなわち「絡み王蛇」と言う名前の由来になっています。
プリアカン遺跡
プリアカンとは聖なる剣と言う意味です。
1191年(鎌倉時代の始まる)にアンコールトムを作ったりヤジャヴァルマン7世と言う王様によって造られた仏教の寺院です。この建物はチャンパ、今の南ベトナムにあった国と戦いに勝った記念に建てたと言われます。もう一つはチャンパの攻撃を撃退できずに亡くなった父ダラーニンドラヴァルマン二世を奉った祠堂でもあるとも言います。
当時この寺院には奉納の踊りを踊る踊り子だけ1000人、お坊さん、召し使いなどあわしせて10万人以上住んでいたと言われています。このジャヤヴァルマン七世は大乗仏教徒でしたが伝統的なヒンドゥー教の存続も願い、ふたつの宗教の融和をはかったと言われています。しかし、そのあとの宗教戦争のため、この寺院に残る仏教的なものはほとんどヒンドゥー教徒により削り落とされ、あるいは破壊されてしまったそうです。東西800メートル南北700メートルあり、作られた時期も、様式もタ・プロム寺院とほとんど同じです。
参道の両脇には砂岩で出来た灯篭のような石の柱が立っています。やはり東の参道にも同じような石の柱が立っています。かつてはお釈迦様が彫刻されています。
この石橋の欄干の左右に石像が並んでいますが、これはアンコールトムと同じく、神々とアシュラが、相談して、アムリタと言う不老不死の薬を手に入れようとするインドの天地創造の神話、「乳海攪拌」を表しています。
この壁の彫刻はガルーダです。半分が鳥、半分が人間のヴィシュヌ神の乗り物です。
こちらはシヴァ神のシンボルで、リンガ(男性のシンボル)と呼ばれています。
この台は女性のシンボルをあらわしております。
チャンパの攻撃を撃退できずに亡くなった父ダラーニンドラヴァルマン二世を奉った祠堂でもあるとも言います。
この女神のモチーフはヤジャヴァルマン7世と言う王様の本妻のヤジャデヴィー様と言われています。
この女神のモチーフはヤジャヴァルマン7世の王妃のインドラデヴィー様と言われています。
建つ建造物は非 常に珍しい二層構造になっています。こ こは図書館だったという説もあります。